先日,「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の著者である岸見一郎先生の講演会に参加してきました。
アドラー心理学について研鑽を深めることができたので,お話を基に私のフィルターを通して書きたいと思います。
「叱る」と「怒(おこ)る」は区別できない?
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教師経験が浅かった頃の私は,指導という名の下に子どもたちに厳しく言う場面が多々ありました。
厳しい指導とは,1対1の状態で,強い口調・大きな声を出して,指導をすることです。今はそのような自分を振り返り,恥ずかしく,相手の子どもにも申し訳ない気持ちです。
よく,教育現場では「怒る」と「叱る」を使い分けることを言われます。「怒る」とは怒りを感情のままに伝えることで,「叱る」は相手が良い方向に向かうように伝えることだと聞いた記憶があります。
以前の私はきっと,この「怒る」と「叱る」の区別ができていると自分で勘違いしていたので,厳しい指導をしていたのだと思います。
でも実際は「怒る」と「叱る」の使い分けはとても困難なことです。そのことは岸見先生もおっしゃっていました。
そちらも結局は自分の怒りをぶつけていて,その目的は相手を制しようとすることにあるからです。
感情には目的がある
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岸見先生は全ての感情には目的があると言われていました。
私の昔の指導を基に考えてみたいと思います。
ある子どもが他の子どもの靴を隠してからかっていました。これに対して私は声を荒げて「何てことをするんだ!」と厳しく指導をしました。
この時の私の感情は間違いなく「怒り」でした。そしてこの「怒り」には,靴を隠した子どもの行動を非難して,その行為を止めさせたいという目的があったのだと思います。
目的のために「怒り」という感情を使ったということになります。
怒りは人と人を引き離す
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もしも,私がその目的を冷静になって客観視できていたら,なぜその行動がいけないことで,どうしたらやめられるのかを丁寧に話したと思います。
怒りに任せた厳しい指導よりも,そのような指導の方が子どもたちも理解できるはずです。つまり,私の目的は怒りに任せない方が達成しやすいということです。
また岸見先生は,「怒りは人と人を引き離す」と言われていました。目の前にいる人でも,怒りの感情を出すと遠い存在に感じてしまうそうです。どこか別の世界にいる人のようにおもってしまうとのことでした。
以上のように,本当に相手にしてほしいことがある場合は,怒りではなく言葉で伝えることが大切だということを私は学びました。
実践はなかなか難しいものですが,がんばってみようと思います。
お読みいただきありがとうございました。
nagaken