私は小学生の頃,習字教室に通っていました。そこの先生は褒めて伸ばす方針の先生だったので,僕が何を書いても
「◯◯くん,きれいな字やね〜」
「◯◯くん,いつもがんばっているね〜」
とほめてくれました。そのことが気持ちよくて,習字教室が大好きでした。
ある日,私と同じ名前の友だちと書き比べをする場面がありました。
周りの友だちもむらがってきて,どちらの方がきれいな字かを品定めをし始めました。
ほとんどの判定は私ではなく,もう一人の方がきれいだというものでした。
何で自分じゃないの?
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私は相手の子を認めずに,自分の方がきれいだと主張し続けました。怒りの感情も交えて…
普段から褒められることに慣れきってしまっていたので,きっと自分がみんなから
「◯◯くん,きれいだね!」
と認められることを期待していたのだと思います。
そして,褒められないことに対して,不満をもってしまったのです。
承認されることが全て?
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その時の自分は,自分がきれいな字が書けているかどうかではなく,自分が認められるかどうかに意識が働きすぎていました。
その結果,他者を蹴落としてまでも自分が認められたいという危険な考え方に陥っていたのだと思います。
これは,私の経験なので一般論として通用するかどうかはわかりませんが,
ほめすぎることも危険なのでは?
と思っています。
理由は2つ
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①承認されることが全てになって他者を競争相手とみなしてしまう
②ほめることでコントロールしてしまう
①はわたしの教訓からわかるように,友だちを競争相手と思ってしまうので注意が必要だということです。
②は指導者としての注意ですが,叱ることと同じように,褒めることで子どもたちの行動をコントロールしてしまうことがあります。
ではどうすれば?
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もちろん褒めることはとても大切だと思います。
でも良い行動をした時にだけ褒めることに危険があると思うのです。
普段から,ちょっとした行動に気づいて「ありがとう」と感謝の言葉を伝えたり,学校に来てくれているだけで「嬉しい」と感情を伝えることが大切だと思います。
そんな教師の意識で,子どもたちに安心感を与えてあげるのが良いと思います。
nagaken